先週、品質保証部の舟久保美佐子さんから昔の新聞記事が
出てきたと見せてもらったのが、28年前の読売新聞でした。
1988年(昭和63年)3月11日金曜日の山梨版に、ビジネス群像
というコーナーがあり、機械器具製造業の内需拡大経営者の一人
として羽田美道 現会長が写真付き(笑)で紹介されていました。
記事内容をご紹介しますと、
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★先見
富士吉田市小明見で電子機器を手がける太陽電機の社長羽田美道(53)
は、市内でも立志伝中の人物として知られる。同市向原に織機40台を
持つ大きな織物工場を経営していたが、人手不足から見切りをつけ、
昭和45年コンピューターなど電子機器の電源業界へ。今では社員が
170人にもなり、先見の明が評価されている。
「この業界も、輸出企業は円高もあって東南アジアなどへ生産基地を
設ける時期にきている。うちは国内向けがほとんどなので、まだ先の
話としても、やはり生き残りためには新製品を出していかなければ」
と話す。
技術が売り物の会社なので、社員教育で技術をしっかり身に付けさせ
るよう心がけている。創業時、仲間5人でスタートしたが、この人た
ちが幹部となり、退職した後の受け皿として、子会社の吉田電機を設
立した。退職後、嘱託で働く場合、部下だった社員の下ではつらかろ
うとの思いやり。苦労人の面目躍如たるものがある。
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今現在と比べてふっくらとした顔つき、「三波伸介」にソックリと
呼ばれていた頃を思い出しました。あっ、今も健在ですよ!
会社の原点と脈々と刻まれている社歴を感じました。
会長から見たら子供のような従業員が大切に保管していたセピア色の
新聞、とても温かくて嬉しかった!